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 杉本 徳栄(Tokuei Sugimoto, Ph.D.) 留学体験記-Yonsei(延世) Univ.-





韓国延世談
−Yonsei(延世) University留学報告記−


杉本 徳栄

 夕日に映える氷雪を冠した太白(テベク)山脈の連なりが眼下を過ぎた。韓国本土領空に入ったことになる。ソウルまであと1時間を要しない位置にあり、機体は次第に高度を下げていく。

 金浦(キムポ)国際空港に到着した時は既に闇に覆われ、これから始まる韓国での生活の不安と期待とを察するかのように、氷点下の外気が空港周辺の夜の静寂さに拍車をかけていた。大学院博士後期課程時代の、学内規程のひとつである“外国留学の取扱い細則”を使用しての韓国留学の始まりであった。

 留学先はソウルにある私立大学の名門、延世(ヨンセ)大学校商経大学大学院である(大学校は総合大学を、また大学は学部を意味する)。延世大学校の歴史は古く、1885年に迄遡る。セブランス医科専門学校と延禧(ヨンヒ)専門学校との併合により現在の延世がある。すなわち、延世の“延”と“世”は、併合前の両学校の頭文字を合わせたものである。歴史的経緯から、延世大学校は医科大学と商経大学がその中核をなし、人文科学・社会科学・自然科学系併せて44学科からなる総合大学である。私が留学した年は大々的な創立100周年記念の年の翌年である。しかし、100周年記念館、総合博物館建設工事等も開始され、新学期のキャンパスは活気に満ち溢れていた。

 ニュースや新聞報道を傾聴・傾注している方であれば延世大学校の名称をよく耳にすると思う。そう、学生デモの際、頻繁にモニターに映る大学である。韓国では、ソウル市内の名門で学生デモの活発な5大学を一般に“メジャー・ファイブ”と呼んでいる。延世もその一校で、とりわけ市内の中心部に位置し、交通の便の良さ、さらには周辺に3大学(梨花女子(イファヨジャ)大学校、西江(ソガン)大学校、弘益(ホンイク)大学校)が隣接していること等から学生運動のメッカとされているのである。

 留学して間もなく、学外での用を済ませて図書館へ戻る際、正門前に整然と配置された機動隊を目にした。正門を潜るや否やその隊列は学内へ進行し始めたのである。正門付近でデモが展開されている気配はないのであるが、はじめて体験することだけに背後から迫り来る隊列を振り切るため一目散に図書館へ逃げ込んだことがあった。5分と経たぬうちに本館周辺でデモを展開していた学生が正門へと進路をとる一方、機動隊と対峙し、火炎瓶と催涙弾の応酬が恰も劇画のように繰り広げられていた。日本の学生運動全盛時、催涙弾が用いられていたようであるが、私は留学してはじめて催涙弾の威力を経験したのである。肌が痛く、涙が流れ、鼻腔が辛い・・・・・・。

 ところで、日本を訪れる外国人が日本人の読書(癖?)に驚くという話をよく耳にする。しかし、大学内に限っていえば日本以上に韓国の学生は活字をよく追う。図書館等は常時、超満員である。机の上に本を広げ、既に他の学生が使用していても、その学生が所用で席を外そうものなら、その人の本の上に自分の本を広げ勉強を始めるのが学生間のひとつのルールとして定着している。そうでもしなければ、空席を期待することなど不可能に近いからである。また留学中、多い時には週に3・4度デモが展開されていたのであるが、その度ごとに図書館にも次第に催涙弾ガスが充満してくる。しかし、一部の学生を除けば、ハンカチ等を鼻に当て、くしゃみや咳を繰り返しつつも皆勉学に勤しんでいるのである。その姿たるや壮絶なものである。


<写真>商経大学より本館を望む

 講義出席の準備さらには個人研究と毎日忙しかったが、週末は友人達と大学前の盛り場によく繰り出していた。鹿児島に負けず劣らず韓国でも焼酎が主流である。寡占的ともいうべき銘柄は“眞露(チルロ)”。ただし、お湯割なんて真似はしない。生で飲む。親戚の人と二人して約300CC入の眞露を7本ほど空けたことがあった。さすがにその後2日間ほどは寝込んでしまった・・・・・・。

 名門私大のひとつに高麗(コリョ)大学校がある。延世と高麗は雌雄関係にある。すなわち、両校は文武ともにライバル関係にあり、スポーツ界では国家代表選手の大多数を占める。

 その両校の間で毎年秋に定期戦が開催される。日本でいう早慶戦に該当する。とはいうものの、スケールが違う。留学した年はオリンピック・スタジアムをメインとし、5種目(サッカー、野球、バスケットボール、バレーボール、アイスホッケー)すべてオリンピック施設を使用したのである。また、開催日前の数日間は大学をあげて応援準備に取り掛かる。その際、新入生は大広場に集結させられ、応援のための歌と踊りの指導をうける。開催日の2日間は当然にして全学休校である。学生だけでなく、総長、理事長、OBをはじめ教職員一体となって大学の名誉をかけて勝負に挑む。また実際に、試合に敗れて興奮のあまりに昇天された方も数名いらっしゃるほどである。ここに韓国人の気質と韓国社会が学閥を重んじるという精神を垣間見ることができる。幸い、その年は延世が総合優勝した。定期戦2日間の夜は大学前の盛り場はいつもよりも増して熱気に包まれる。とくに、喫茶店は頬を高潮させた学生達によって急遽ディスコと化す。私もにわかディスコを友人達と肩を組みハシゴしたものである。

 留学を終えて2年という歳月が経過した今でも、韓国留学がとても有意義なものであったと思っている。1年という限定された期間ではあったが、師や友にも恵まれ、すばらしい環境下で研究に打ち込むことができた。人間、生きていく上で環境が大きな要因であることを再認識した期間でもあった。今、この随想を認めながら当時の苦悩や楽しさを想起し、あらためて静なる心の活性化がなされた気がする。



(この留学体験記は、鹿児島国際大学(旧鹿児島経済大学)大学広報センターの許可のもと、鹿児島経済大学『鹿児島経済大学広報』第21号、1989年5月30日、8ページより一部字句等の修正を行ない、写真を割愛して転載したものです。)

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